Tシャツの歴史
Tシャツの歴史
アートとして、自分の主張を掲げるメッセージとして、企業や商品の広告として、そしてもちろんファッションに。
Tシャツは、さまざまな顔を持っています。皮膚に一番近い存在で、伸縮性がよく、動きやすい。
誰にでも受け入れられやすい、 シンプルな普遍性。だからこそ、時代を超え、世界でもっとも愛されているのだと思います。 スポーツウェアとしてTシャツが誕生したのは、1920年頃と言われています。
そのTシャツが、もともとはアメリカ海軍からはじまったことはご存知でしょうか。 ここではみなさんに、プリンタブルウェアの原点であるTシャツの歴史の一遍を、ご紹介しましょう。
Tシャツは、アメリカ海軍の船内で、船乗りたちに下着として愛用されたことがはじまりと言われています。 白いフレアズボンとともに、白い肌着が、船内で重労働を行なう上で最適な服でした。
軽く、動きやすく、そして洗えば短時間で乾く。 着替えも簡単。タオルにも使え、ときには白旗にもなる。 その機能性の高さが船乗り達の心をつかんだのです。 世界を航海し、戦った海軍の船乗りたちは、アメリカ人にとってのヒーローでした。 自由で、独立心旺盛で、勇気があって賢い。 退役し、陸に上がった英雄たちは、その太くたくましい腕をTシャツの袖から覗かせて街中を凱旋したのです。 その健康的なエロティシズムを感じさせる姿に、階級を問わず、アメリカ人の憧れを感じていました。 そうして第一次世界大戦中の1930年頃、 下着製造会社だったヘインズ社がそれをコブ・シャツ(水兵シャツ)と名付け、販売を開始。 これがスポーツやレジャーのためだけにデザインされた“Tシャツ”の起源と言われています。 |
第二次世界大戦後、強いアメリカの象徴として、陸に上がった船乗りたちが広めたTシャツは、 やがて下着からアウターへと認知されていきました。
それは、ジーンズとともに労働者たちのユニフォームとなったのです。 Tシャツがブームとなったのは、1950年代の中頃のこと。敏感に反応したのは、自由を求め、自分自身を表現するアイデンティティを求めたティーンエイジャーたち。 そして、彼らのカリスマとなったハリウッド・スターたちでした。 ジェームス・ディーンが「理由なき反抗(Rebel Without a Cause)」で。 マーロン・ブランドが「欲望という名の電車(A Streetcar Named Desire)」の中で。 スクリーンに登場する彼らは、大人たちのかたくるしい価値観へ反抗する労働者の姿を映し出しました。 自由で、セクシーで、そして激しい。 白いTシャツとジーンズは、映画の中と外で見せる彼らの生き方を映し出し、時代遅れの考え方への反抗と挑戦のシンボルとなりました。 |
デザインも簡単で、安価にプリントできるTシャツは、加工技術の発達と普及と相まり、さまざまな表現の自由を提供するキャンバスとなりました。
1960年代のアメリカでは、企業のロゴなどをプリントした広告としてのTシャツが広まり、コミュニケーションツールとなりました。 アメリカの大統領選挙において、Tシャツがはじめて選挙運動の広報ツールとして使用されたのも、この時代です。 Tシャツの白いキャンバスは、政府の、企業の、そして個人からのメッセージを伝えるメディアとなりました グラフィックデザイナーのミルトン・グレイザーが「ビッグ・アップル」のイメージを広めるために1976年に制作した「アイ・ラブ・ニューヨーク」のロゴ。 赤いハートと黒いタイポグラフィでつくられたTシャツは、アメリカの象徴ともいえるほどメジャーな存在となりました。 このシンプルなロゴとTシャツは、世界中のみやげ品として広がったコピーの量からも、歴史上もっとも有名なTシャツと言えるでしょう。 9.11の世界貿易センタービルのテロの後、ニューヨークの路上に星条旗とともにはためいたこのTシャツは、人々の勇気と希望の象徴として、凛然と輝いていたのです。 |
現代アートの発展は、Tシャツによって為されたといったら言いすぎでしょうか。
アーティスト達は、ひどく難しい、そして彼らにとって受け入れがたい“鑑定”を受けるクラシカルアートの規律からの開放を望んでいました。ポスターよりも、生身のTシャツは、自分たちの作品をより多くの人にアピールする存在として、モダンアーティストの格好のキャンバスとなりました。 Tシャツにはきゅうくつさがなく、動くことに自由でいられます。実際、作業をするアトリエでも、多くのアーティストがTシャツを作業着として愛用していたそうです。 中でもアメリカの大衆文化を象徴するポップアートにとって、Tシャツの胸元はポップアートがポップであるがための必然的な芸術表現の場となりました。 70年代アーティスト達はこぞってTシャツを作品発表の道具として使い始めます。 カウンターカルチャーの寵児にしてアメリカン・アングラ・コミックの大巨匠ロバート・クラムは、自分の描いたヒッピーのキャラクターをTシャツにプリントしました。 80年代、キース・ヘリングは自身の店「ポップ・ショップ」をオープンし、Tシャツをはじめとする雑貨にキャラクター作品をプリントし、販売していました。 90年代には村上隆が日本のアニメやマンガをモチーフとしたキャラクター作品をTシャツなどで販売することで、ポップアートを継承しました。 Tシャツの持つカジュアルで縛られない、ユニークな個人を象徴するアイデンティティが、現代アートと結びついたことは必然と言えるでしょう。 |
最初にTシャツがモード界でベーシックアイテムとして登場したのは1960年代。
さまざまなデザイナーズブランドがTシャツを発表するようになっていきました。 しかし、ファッション界が本格的にTシャツを取り入れたのは、1970年代に入ってからになります。 70年代前半のヒッピー達による「ラブ&ピース」運動や、70年代後半のパンクムーブメントなど、自由を求める思想とTシャツが見事にマッチしたのです。 人々の態度やライフスタイルの変化に敏感なファッション界が、Tシャツを重要なアイテムとして認知した時代です。 80年代のファッションがよりスポーティに移行すると、多くのブランドがスポーツウェアに力を入れ始め、ブランドの力でTシャツもファッショナブルな存在となっていきました。 メンズの枠を超え、Tシャツを多くの女性達が着こなすようになったのもこの時代です。 90年代に入ると、80年代で興った様々な変化がさらに混合されてゆきます。 カジュアルに着こなされていたTシャツに、ジョルジオ・アルマーニや山本耀司らにより、スーツにTシャツを合わせるミニマル・ファッションスタイルが提案されました。 環境問題やリサイクルへの関心も高まり、オーガニック綿を利用したTシャツが登場したのもこの時代です。 そうしてTシャツは、カジュアルフライデーの普及などからビジネスの場にも登場し、今ではラグジュアリーTシャツとして多くのデザイナーがコレクションで発表するようにまでになりました 。 ファッションにおけるTシャツのユニークさとは、時代のさまざまなシーンで流行と相反する役目を果たしてきたことにあると言えます。流行にとらわれない自由さを持つからこそ、どんな流行にも取り入れられる。 ちょうど次の日にTシャツを着替えるように、だからこそTシャツは、いつでも新しいのかもしれません。 |
音楽におけるロックシーンを語る上で、ブラックTシャツをはずすことはできません。
1950年頃、エルビスプレスリーはジャケットを脱ぎ、Tシャツで唄いました。 それまでのミュージシャンが来ていた正装を脱ぎ捨てたときです。 ビートルズも、初期の頃はリバプールのクラブで黒いレザーとTシャツで演奏していました。 60年代の終わりにTシャツは大西洋を越え、黒い柄に骸骨やクロスボーンなどの刺激的な柄が描かれたTシャツは、ロックバンドのシンボルとなっていきました。 アメリカの西海岸から誕生したロックコンサートのほとんどをプロデュースしていたビル・グラハムは、「黒はロックの色だ。最初に黒を使ったのはわれわれだ」と言ったそうです。 そうしたミュージックシーンでのハードロックの広がりは、Tシャツの商業価値を拡大させていきました。 セックス・ピストルズの伝説的なベーシスト、シド・ヴィシャスが当時着用していた「Anarchy」の文字が入った歴史的なTシャツは6000ドルの値がつきました。 1980年代には、メッセージの書かれたTシャツが、アルバム自体のセールスを上回る勢いを見せました。 小さなプリントショップからはじまったこのビジネスは、やがて産業へと進化し、Tシャツの売上げで年間1000万ドルを超えていきました。 1995年のローリングストーンズのツアー(450万人の動員を果たした)では、グッズの販売総額は7000万ドルに昇り、そのうちTシャツの売り上げが75%を占めたそうです。 |